逵野 匠 ( ΤαϘυμι ΤυΖινο )
ここでは名前のアルファベット表記のデザインを中心にした問題に私見を述べる. 名前のアルファベット表記には,ローマ字綴りをヘボン式風か,修正ヘボン式か, 通用ヘボン式か,あるいは日本式か,その音韻表記である訓令式にするか,とい ふ問題は別にしておいても,名前(いはいる下の名前)と先にするか,名字(苗字, 姓)を先にするか,名字を大文字にするか,しないか,といった問題がある.こ の問題は端的には名簿や名刺にどう書くかというデザイン上の問題である.
最初に「姓が先か名が先か」とふ難解な問題について触れる.日本語では姓名の 順だが,英米人は名を先にし,姓を続けて書く.
Ernest Satowのやうにである.名前の構造が同じヨーロッパ人の名前(ハンガリー人は違うが) は,同様に表記して差し支へなく,彼らもさうしてゐる.
問題は,日本を含めて東洋の多く(漢字文化圏)は姓名の順に名前を表記し,それ をローマ字で書く時,どちらを先に書くか二通りあることである.この問題につ いては決着がついてゐない.また,姓のない文化(アラビア人は英米人の姓の位 置に父称が来る)もあり,これをどう表記するかもむつかしい問題であるが,こ こでは日本に関係する東洋の例のみとりあつかふ.
日本人を含めて漢字文化圏の姓名の構造からすれば,英語でのsurname, first
nameは形容矛盾の名前である.リテラルにsurnameを解すれば「下の名前」になっ
てしまう.同様にfirst nameも「前の名前」だから姓になる.漢字文化圏の姓名
の順番を,(甲)英語風に名(下の名前)を先に書いて,名字(姓)を後に書く
(Taqumi TuZino)か,それとも(乙)日本語の語順で書く(TuZino Taqumi)か,どち
らかにしなければならない
.
なお,TaqumiもTuZinoも正規のローマ字綴ではないので,これを日本語に含める
かどうかそもそもの疑問がある(日本式ローマ字であればTuzino Takumiである).
ノーベル物理楽賞の益川氏もMaskawaと綴っており,かういふ非正規な綴りは結
構多いが日本語ともいいがたいが,かといって英語ともいいがたい
.この問題は今回はとりあつかはない.また,後述す
るようにTuZino, Taqumiといふカンマを挟んで一見日本語の語順に従った表記は,
Taqumi TuZinoを本来の順番とした上での倒置表記なので,方針としては(甲)に
相当する.
文部省の国語審議会の答申では「日本人の姓名については,ローマ字表記におい ても「姓−名」の順(例へばYamada Haruo)とすることが望ましい」としてゐる. つまり,乙の方針を推奨しているわけだが,実際には英語文化にしたがって,甲 のやうに「名−姓」の順(例へばHaruo Yamada)としてゐる人が圧倒的に多い.一 方,中国人や韓国人のローマ字表記では,乙の方針で表記されることが多い.た とへば「毛沢東」は英語でもMao ZeDongまたはTseTungと表記し,決してZeDong MaoとかTseTung Maoにはならない.
これをどうするかといふ問題に誰もが納得する答へはない(もしさういふものが あれば,とっくに決着がついてゐる).が,実際問題の対応としては次のやうな ものになる.英語の文脈では英語風(甲)であり,日本文化の文脈では乙となる. つまり文脈依存である.
たとへば英文の名簿で,その人(の属する文化)ごとに順番をつけるといふのは現 実的ではない.また,英語論文のタイトルも同様である.甲乙の順番の容認され ない(だいたい,編輯規定に書いてあるか編輯委員が認めない).というのは,ど の文化かわからない限り,どちらが名字がわからないからである.その上,全然 なじみのない文化圏(日本に比較的したしみがあるタイですら名前の構造は周知 されてゐるとはいいがない)の名前にいたっては想像の外である.漢字文化圏に 限れば名前を見て漢字圏だらうといった見当をつけることは可能であるが日本人 でも,乙の表記をする人と甲の表記をする人とゐるわけで,さういふのが混在し た中で,正確に姓を認定することは不可能といってよい.Satoだから名字だとい うのは日本人および日本文化に精通した人以外にはできない所業である.しかも, 「上村 里(うゑむら さと)」さんとふ人がゐた場合,予想に反してSatoは「下の 名前」である.日本人だって間違うだらう.また,ジャッキー・チェンを陳 成龍(Chan Cheng-Long)と表記してゐるうちは甲乙どちらでも表記可能だが, Jackie ChanをChan Jackieと表記するのは相当に違和感がある.中国人であって も,英語論文では英語風に甲の「名−姓」の順番で書いてゐる.
問題の根本にはローマ字には多面性がある.ローマ字には英語化(anglicise)あ
るいは他のラテン文字使用の言語化(イタリア語化,フランス語化,ドイツ語化
等々)の方法の一つとしてのローマ字と,日本語表記としてのローマ字と二種類
ある.日本語表記としてのローマ字は乙しかありえない.たとえば,筆者の姓,
「辻野」の「野」は野原の野ではなくて(電話で漢字を伝へるときはさう云ふが),
助詞の「の」である.紀 貫之を「きのつらゆき」と読むのと同じで,もともと
は「の」の字がなく,読むほうが「の」を補ってゐたが,「の」を漢字で表記す
ることがある.たとへば紀氏の中で紀野と「の」を明示する表記もある.これを
甲のやうに,「たくみ つじの」「つらゆき きの」といふように表記すると
日本語として意味を爲さない.日本語では普通このような順番で話をしないから
である
.
なお,他のラテン文字使用の言語化ではそれぞれのローマ字化(たとえばchiはチ とは読めない言語も多い.フラ語はシ,伊語はキ,独語はヒ)があっていいし, それぞれの順番で書けばよい.ハンガリー語は日本語と姓名の順番が同じなので, ハンガリー語中で,あえて逆に書く(甲)こともないだろう.が,読み手がどちら が姓か混乱しないことが条件である.読み手であるハンガリー人が混乱する可能 性,書き手であるハンガリー語話者が混乱して表記する可能性,おおもとの日本 人が自分の姓名を混乱して表記する可能性を考へると,「こっちが姓」と明記し ない限り,混乱する可能性が高い.
一方で,「毛沢東」をMao ZeDongと表記することにも一理ある.固有の文化の文 脈で捉へる場合には,たとへ英語の文中であっても,その固有の文化にしたがっ た表記をするべきだらう.日本の古典文学や歴史を既述した本では,英文であっ ても,`Kino Turayuki'(日本式表記)といふように乙の表記をするべきだらう. さう書き,ご丁寧に「日本語ではfamily name, given nameの順になり,Kino が family nameだ」と書いてある本も多い.
本人の名乗りとして甲にしても乙にしてもいいが,結局,本人の名乗りがそのま ま後で英語化の文脈で使はれることが多いので,後先を考えて名乗る必要がある. 英語の文脈では,混乱させないためには,甲の英語風の順番にしておくべきだら う.たとえば,名刺に書く場合,英語で会社名や役職を書いてゐるのなら,甲の 英語風にするべきだらう.逆に,日本語ローマ字文の文脈では,乙の日本語の順 番にしておくべきだらう.名刺に日本語ローマ字文を書くことはあまりないだら うが振仮名(?)としてローマ字を使う場合は書いてある順番でローマ字を振る必 要がある.「辻野 匠」の振仮名(?)として上または横に「Taqumi TuZino」と書 いてあることが多いが,これは違和感がある.「辻野」はtaqumiに対応してゐる わけではないからだ.話がそれるが地名では「京都市左京区」の上に読みを示す 意味でローマ字を書く場合がそれである.`Kyôto-shi Sakyô-ku'(左は修正 ヘボン式.日本式ローマ字による復古假名遣翻字であれば`KyauTo-si SaKyau-ku')とすべきであって,`Sakyô-ku, Kyôto-shi'とするべきではない. それは英語化した表記である.乙の精神にもとづいた順番で書いておけば,区が ku,市がsiとなることはわかる.中野 孝次をNakano Kouzi, 野中 英次を Nonaka Eiziと書けば,差分から中がnaka, 野がno, 次がziだとわかる(人には わかる).甲はその構造を破壊するので振仮名(?)にはできない.
この問題は文脈に照せば ある程度方針が立つが落し穴がある.書いたものが違 う文脈で流用して使われることがよくあることだ.漢字の名前は日本あるいは漢 字文化圏といふ文脈を背負ってをり転用できないの対して,ラテン文字はどこに でも転用可能である.したがって,文脈外の局面で混乱が生じる.
この問題は,本稿の主題であるデザインについては大きく関与しない.次のパター ン例では,甲の書き方について列挙したが,同様のことが乙についても言へる.
基本形と云へる.もっともよく使用されている表記.姓名の判別が難しいが,後 述の大文字表記にくらべて語形に特徴があるので,読みやすい.また,語中の大 文字で表記する字(TuZinoのZ, DeMarcoのM, McArthorのA)や小文字で書くべき語 (von, van, de, tenなど)も表記できる.
全部,大文字にする表記がある.これは姓名の判別がむつかしい上に,平板な印
象がある.次のやう
に大
文字にしにくい名前もある.
| McArthor, | von Neuman, | van Beethoven, | de Gaulle, | DeMarco, | ten Bricks |
| MCARTHOR | VON NEUMAN | VAN BEETHOVEN | DE GAULLE | DEMARCO | TEN BRICKS |
かういふものまで大文字にすると,名前の構造を知らない人は正確に復元できな い.たとえばDEMARCOの場合,「もともとdeは前置詞で,それがMarcoといふクリ スチャンネームと強く結合したものである」といふことを知らない限り, DEMARCOを大文字小文字の表記に変換する場合に,単にDemarcoとなってしまう可 能性が高い.また,前置詞は小文字にするといふことのみを知ってゐる場合は, deMarcoという綴りに間違って復元してしまう可能性もある.やっかりな事にか ういふ綴が正式な人もゐる.筆者は藝名的にTuZinoと表記しているが,TUZINOと いう表記をみてTuZinoに復元することは限りなく困難である.
姓名の区別がつくことが利点である.ただし,大文字=姓といふルールを知って ゐる人に限る.知らない人も多い.また,上で述べたように姓の全部を大文字で 表記すると混乱する名前もある.
名簿は姓で探すことが多いので,姓が最初に来るはうが適当.小文字は上に出る 線や下に出る線があり特徴が多い(表情が豊かな)ので,姓を小文字で書いておけ ば目で探しやすい.
自己の名乗りとしては,姓を先に名乗るのは英語話者としては違和感があるかも しれない.
大文字が姓を意味することが周知されてゐる必要があるのは前述の通り.名簿に 適した順番であるのも既述.姓を大文字にすると平板になって,読みにくいので, 目で探すには不適当.
大文字だと(たとへ姓だけでも)平板な印象があるが,スモールキャピタルにすれ ば,印象を強めることができる.姓の大文字化同様,スモールキャピタルが姓を 示すことが周知されてゐなければならない.
上のスモールキャピタルは,「とにかく最初の一字をキャピタル,残りをスモー ルキャピタル」とふルールだが,上で見たやうに,大文字小文字混在の姓も多い. それらについて,大文字表記をそのまま大文字とし,小文字表記をスモールキャ ピタルにしたものがこれである.
Karl VON NEUMAN, Charls DE GAULLE, Tom DEMARCO
名簿で探すのに適した順番.スモールキャップスが特徴的で印象強い.ただ,大 文字よりはましだが,平板な印象は免れ得ない.
名簿で探すのに適した順番.しかも,もとの小文字/大文字の差異が保存されて ゐるので,表情が豊か.
辻野 匠 (2007) アルファベットと発音(2007-12-26版) 117頁.オンラインドキュ
メント.
TuZino, T (2007) Transcription and Transliteration for the Cyrillic. 1p. online
document.
辻野 匠 (2007) 勝手なギリシャ文字翻字.4頁. オンラインドキュメント.
辻野 匠 (2008) 日本式ローマ字翻字の推薦.12頁.オンラインドキュメント.
辻野 匠 (2009) 通用ヘボン式の概観.16頁.オンラインドキュメント.
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