辻野匠 (Taqumi TuZino; personal family)
2009-02-15 起筆.PDFが正式.HTMLのために代書法を使ふも乱れてゐ る場合がある.
日本語のローマ字表記は国際的にはISO3602といふ日本式が正式なもので,国内 的には訓令式(吉田内閣)が正式のものである.これはISO3602の日本式について 厳密翻字をしないものである.それらは日本語内に潜在する音の法則に沿ったも ので,それなりに合理的であるが,そのやうな正規のものとは別に,世間一般で は圧倒的にヘボン式系統が多数派である.「系統」と書いたのはそれが単一のも のではなく派生形の集合体からなるためである.つまり,ヘボン式と標傍してゐ る規格にもいろいろあって,それぞれに微妙に異なってゐる.また,規格とは別 個に人々が別の方法を編み出しで表記してゐるものがある(たとへばオーにoh, ユーにuhとするもの).が,どの規格・どの私案であっても,チシツフジの綴り 方は同じchi, shi, tsu, fu, jiである.これをもって世間ではヘボン式と云っ てゐることが多い.ただ,前述のやうに厳密にいへば,規格としてのヘボン式に もいろいろある.端的な違ひは,長音の表記と撥音「ん」の表記をどうするかで ある.
\ | 長音 | 撥音 | 分節 | ||
例 | 大通り | 踊り | アンパンマン | 原因 | 下人 |
和英語林集成 | マクロン | 唇音はm それ以外はn | 「-」 | ||
〔第三版〕 | dri | Odori | Ampamman | Gen-in | Ge-nin |
ローマ字ひろめ会 | ハット | 唇音はm それ以外はn | 「'」 | ||
「標準式」 | dri | Odori | Ampamman | Gen'in | Genin |
国交省(舊鐵道省) | マクロン | 唇音はm それ以外はn | 「-」 | ||
〔駅名用〕 | dri | Odori | Ampamman | Gen-in | Genin |
国交省(旧建設省) | 無視 | 常にn | 「-」 | ||
〔道路標識用〕 | Odori | Odori | Anpanman | Gen-in | Genin |
外務省旅券用 | 無視 | 唇音はm それ以外はn | 無視 | ||
Odori | Odori | Ampamman | Genin | Genin | |
ANSI | マクロン | 常にn | 「'」 | ||
〔進駐軍による〕 | dri | Odori | Anpanman | Gen'in | Genin |
・和英語林集成第三版はヘボン氏(米国平文先生)謹製の和英語林集成(和英辞書)第三版に用ゐら れたローマ字.
・ローマ字ひろめ会「標準式」の長音記号が和英語林集成第三版と違ふ のはタイプライターにあるハットを採用したためか.
・駅名用は厳密にこの規定に従ふものはJR(旧国鉄)のみで,他の事業者は任意であ る1.
・外務省旅券用 オ段に限って本人の申告によりohといふ綴を認めてゐる.ただし,ウ段は裕司などの例が多くあるにも関はらず,認められてゐない.
・修正ヘボン式.本稿では修正ヘボン式といふ名称は使はなかった. 修正ヘボン式といふ名称は安易に使はれてゐるが,これがなにを指して ゐるのか曖昧である.ヘボン氏の和英語林集成第一版に対して,第三版を修正ヘ ボン式といふこともあれば,第三版に対して,後のローマ字ひろめ会(ヘボン氏 も会員であった)の「標準式」を修正ヘボン式と呼ぶこともある.また,それら に対して,鐵道省駅名用のローマ字表記を修正ヘボン式と称することもあるし, 進駐軍の定義したローマ字と修正ヘボン式と呼ぶこともある.また,道路標識用 や旅券用のヘボン式を修正ヘボンを称すこともある.たとへば,「パスポートは 修正ヘボン式で書くこととする」といふやうな規定があった場合の「修正ヘボン 式」と,「道路標識は修正ヘボン式で表記する」といふやうな規定があった場合 の「修正ヘボン式」とは異なる.
・真正ヘボン式といふ言葉がある.この言葉も明確ではなく,様々な使はれ方を するが,修正ヘボン式ほど曖昧ではない.厳密には和英語林集成第三版と指すべ きであるが,実際の多くの用例では長音表記をし,唇音かどうかで撥音を書きわ ける表記を指すことが多い(本稿でもそれを指す).中でも鐵道省式を指すことが 多い.長音表記はハットではなくマクロンが言語学的には一般的であり,ハット (山形)は訓令式の表記と誤解されたため忌避されてゐるのかもしれないが推測の 域を出ない.和英語林集成第三版式は語の構成を明確にするために過剰に分節さ れてゐるため使ひにくいやうだ.
このやうないろいろなヘボン式に対して,世間で使はれてゐるヘボン風ローマ字 綴りを通用ヘボン式といふことにする.通用ヘボン式は当然,厳密な規格ではな く,なんとなく行はれてゐるヘボン風の綴り方の総称,集合名詞である.通用ヘ ボン式が用ゐられる原因のひとつは規格に対する無知・無理解である.このやう に複雑化したローマ字綴の色々をいちいち把握することは特殊な場合を除き,あ り得ない.そこでそれぞれが自分なりの基準でローマ字を表記する.これは規格 に対する無知・無理解ではあるが,規格とは別に,ユーザーが自身の視点にたっ てローマ字綴を生成してゐると見ることもできる,そしてそのローマ字が通用す るとふことは,そのローマ字表記には自然発生的な組織化の結果と再評価するこ ともできる.
また,非ローマ字圏は必然的にローマ字とは違ふ世界観・文字観・表記観で世界・ 言葉を組織化してゐるために,ローマ字で言葉を再構成する際には常に揺らぎや 混乱が生じる.これは元来,非ローマ字圏の言語の問題とされてきたが,実際は 文字側(ローマ字)のもつ問題である.言語学では文字は言語そのものと切離して 捉へられる場合が多いが,言語にとって文字は不可分である.
通用ヘボン式が用ゐられる原因の第二は,規格の不備である.規格の不備を人々 が独自のアイディアで補完するため,別の「規格」=通用ヘボン式が生まれてし まふ.実際,これらのローマ字規格には問題がある.たとへば「づ」といふ文字 をどう表現していいかわからないといふことがある.上記の規格では「づ」は発 音としては「ズ」と同じだから,「ズ」と同じzuと表記せよと規定してゐる.し かし,話者の心情としては,「づ」は文字としては「ず」と違ふのだから,zuは 嫌だと思ふこともある.また,長音については,上の規格のあるものはマクロン やハットで表現してゐるが,それらはキーボードで打てない(厳密には,打ちに くい)ので困るといふ苦情がある.かといって,旅券用ローマ字綴のやうに無視 してほしくない人もゐるだらう.たとへば,孝三大先生といふ方がいらっしゃっ ても長音表記を無視してしまっては,Kozoさん,つまり小僧さんになってしまふ. 仕方がないので,それぞれが自分なりのローマ字を「発明」する(たとへば長音 ユーをyuhとするもの).
さういふ自然発生的な表記が公的性を獲得して(他の人が見ても理解できて),あ る程度の体系を構築した時,それは通用表記となる.ローマ字の場合,わざわざ 日本式を使ふものは,ローマ字に対する規格に敏感なものであるから通用表記は 起きにくい.その上,世間ではヘボン風の表記が多数派であるから,通用はもっ ぱらヘボン式に対して成立する.これをここでは通用ヘボン式といふ.
ローマ字表記の問題点を解決しようとした試みもある.ヘボン式の拡張案として は佐藤正彦氏(ヘボン式の拡張案)や上西俊雄氏(擴張ヘボン式)があるが,ここで 扱ふのは,そのやうに「ちゃんとした」ものではない.英語タイトルにfolk Hepburn Systemとあるやうに,表記や言語学的検討を踏まへたものではなくて, ここでは,人々が自然発生的に書くローマ字表記を扱ふ.
なほ,表記や文法には記述志向と規範志向といふ二種類の方向性があり,両者は まったく別物である.記述志向とは,言語がどのやうに運用されてゐるのか知る ことが目的で,記述文法とは記載の学である.規範志向とは,言語はどう運用し なければいけないか規範を整備することが目的で,規範文法とは規範である.た とへば,日本語表記を観察して,日本語では漢語以外の外来語はカタカナで表記 してゐる,といふ知見は記述假名遣であり,人の文章を添削して「ふらんす」と 外来語なのに平仮名で表記してあるのを間違ひと指摘するのは規範假名遣である.
本稿は最初にローマ字表記の実態から概観し,それを踏まへた上で,若干,批評 する.前者は実態把握であるから,記述志向の方法論であり,後者は規範志向と いへる.このやうなアプローチをとる理由は,これまでのローマ字論では,運用 の実態を踏まへず,それぞれの立場を単純に主張するのみの論が多かったため, ある意味,実態から遊離した空論になりがちであったことの反省からである.運 用の実態を踏まへた上で,批評することが重要である.批評といっても,自然発 生的に「さうなったもの」に一々,規格から見て,あるいは規範言語的に間違っ てゐると指摘することではない.運用面から見て,その表記は有用かどうかであ る.
本稿で扱ふ記号にはIPA(International Phonetic Alphabet: 国際音声記号)など 印刷や計算機で取り扱ふのに特別なソフトウェアを必要になる.そこで,ここで は巻末に示す代書法で表記することにする.
なほ,IPAでは[j]はジャではなくヤ行の頭子音である.また,[u]は円唇後舌狭 母音で英語仏語のuである.標準的な日本語のウはこれとは若干異なり平唇の後 舌狭母音であるが,完全に平唇でもなく平唇と円唇の間の広い範囲を指す.関西 では特に円唇が強い.平唇と円唇を区別する韓国人が日本語とハングルで表記す ると,ウ段を━(平唇)にするか┳(円唇)にするか表記が揺れることがある.この 問題の本質は日本語では平唇と円唇を区別しないことにある.ここでは円唇も平 唇も区別せず,uで示す.ツやチのやうな破擦音はIPAでは合字で示すか, tie-barで二文字を連結しなければいけない( ).代書法では tie-barで連結したが,しばしば省略されることが多い.有声両唇摩擦音 []は日本語では独立の音韻をなさず,語中のバ行の異音である.
ヘボン式(風)ローマ字は英語風であるとか,発音を正しく表記してゐるといふ誤 解があるが,それは虚構である2.たとへば, 子音が英語風なのに母音は英語風ではない(後述).それ以外にも,ローマ字でギ のつもりでgiと書いても,英語では「ジ(より正確には)ヂ」と読まれたりする. 英語(と他の多くの言語)ではfはフの子音ではなく,唇歯音[f]である.フの子音 は両唇音[]で,日本語の「フィー」といっても英語ではfeeと聞こえない (whee?).[f]を発音するためには,下唇を上の歯に当てることが必要である.シ の子音は英語のsh[]ではなく,[]で,最近では[s](seaのs)と発音す る人がゐる(「オイスィー」)し,中には[] (カナでは表記不能)の人さ へゐる.jiは「ジ」に当てられるが,英語のjは[]であるから「ジ」 の子音といふよりは「ヂ」の子音のはうが適当である.しかし,虚構は虚構で構 はない.通用ヘボン式を使ってゐる人の多くは,ヘボン式は英語風であるとか発 音を正しく表記してゐると信じてゐるかもしれないが,運用にあたって重要なの は,そのやうな条件を正しく満してゐるかではない.人々が自分が思ってゐるこ とを十全に表現できるかである.したがって本稿では,かかる虚構は一切無視す る(一切さういふものとして扱ふ).
太字で示したのは今回新たに提案する綴方である.
行\段 | ア/a/ | イ/i/ | ウ/u/ | エ/e/ | オ/o/ |
ア行 | あ a | い i | う u | え e | お o |
カ行 | か ka | き ki | く ku | け ke | こ ko |
サ行 | さ sa | し shi | す su | せ se | そ so |
タ行 | た ta | ち chi | つ tsu | て te | と to |
ナ行 | な na | に ni | ぬ nu | ね ne | の no |
ハ行 | は ha | ひ hi | ふ fu | へ he | ほ ho |
マ行 | ま ma | み mi | む mu | め me | もmo |
ヤ行 | や ya | -- | ゆ yu | (イェ)ye | よ yo |
ラ行 | ら ra | り ri | る ru | れ re | ろ ro |
ワ行 | わ wa | ゐ wi | -- | ゑwe | をwo |
ガ行 | が ga | ぎ gi | ぐ gu | げ ge | ご go |
ザ行 | ざ za | じ ji | ず zu | ぜ ze | ぞ zo |
ダ行 | だ da | ぢ dji | づ dzu | で de | ど do |
バ行 | ば ba | び bi | ぶ bu | べ be | ぼ bo |
パ行 | ぱ pa | ぴ pi | ぷ pu | ぺ pe | ぽ po |
行\段 | ア/a/ | イ/i/ | ウ/u/ | エ/e/ | オ/o/ |
カ行[ ] | きゃ kya | -- | きゅ kyu | きぇ kye | きょ kyo |
サ行[ ] | しゃ sha | -- | しゅ shu | しぇ she | しょ sho |
タ行[ ] | ちゃ cha | -- | ちゅ chu | ちぇ che | ちょ cho |
ナ行[] | にゃ nya | -- | にゅ nyu | にぇ nye | にょ nyo |
ハ行[] | ひゃ hya | -- | ひゅ hyu | ひぇ hye | ひょ hyo |
マ行[ ] | みゃ mya | -- | みゅ myu | みぇ mye | みょmyo |
ラ行[ ] | りゃ rya | -- | りゅ ryu | りぇ rye | りょ ryo |
ガ行[ ] | ぎゃ gya | -- | ぎゅ gyu | ぎぇ gye | ぎょ gyo |
ザ行[ / ] | じゃ ja | -- | じゅ ju | じぇ je | じょ jo |
ダ行[ / ] | ぢゃ dja | -- | ぢゅ dju | ぢぇ dje | ぢょ djo |
バ行[ ] | びゃ bya | -- | びゅ byu | びぇ bye | びょ byo |
パ行[ ] | ぴゃ pya | -- | ぴゅ pyu | ぴぇ pye | ぴょpyo |
行\段 | ア/a/ | イ/i/ | ウ/u/ | エ/e/ | オ/o/ |
カ行[ ] | くゎ kwa | くゐ kwi | -- | くゑ kwe | くを kwo |
タ行[ ] | つゎ tsa | つぃ tsi | -- | つぇ tse | つぉ tso |
ハ行[ ] | ふゎ hwa | ふゐ hwi | -- | ふゑ hwe | ふを hwo |
ファ行[] | ふぁ fa | ふぃ fi | -- | ふぇ fe | ふぉ fo |
行\段 | ア/a/ | イ/i/ | ウ/u/ | エ/e/ | オ/ o/ |
サ行[s] | -- | スィ si | -- | -- | -- |
タ行[t] | -- | ティ ti | トゥ tu | -- | -- |
ナ行[n] | -- | ヌィ n"i | -- | -- | -- |
ダ行[d] | -- | ディ di | ドゥ du | -- | -- |
バ行[b/ /v] | ヴァ va | ヴィ vi | ヴ vu | ヴェ ve | ヴォ vo |
ウヮ行[w] | ウヮwwa | ウヰ wwi | - | ウヱwwe | ウォwwo |
n"iはフランス語のgni[i]とni[ni](スペイン語やポルトガル語にも同じ発音 あり)を書きわけるために導出されたヌィに対応してゐる.ニとヌィ日本語とし ては区別できない.
行\段 | ア/a/ | イ/i/ | ウ/u/ | エ/e/ | オ/o/ |
タ行[ ] | テャ tya | -- | テュ tyu | テェ tye | テョ tyo |
根本的な問題として,ローマ字の子音と母音とで依って立つ基盤が異なってゐる ことがある.子音は確かに英語風であるが,母音はイタリア語やドイツ語,スペ イン語,ポルトガル語といった言語での運用をもとにしてゐる.たとへば,峯は ローマ字ではMineと表記する.伊語独語西語葡語では日本語と同じやうに「ミネ」 に近い発音(あるひは「ミーネ」)になるが,英語では[main]といふ発音になり意 味は地雷,鉱山である.伊達のDateも然り,[deit]となる.本当に英語風にした いのなら,母音の表記も英語風に変へるべき(たとへば峰はMeeney,,伊達は Dertey)だが,英語風を気取る人はそこまで考へてはゐないことが多い.また, どう英語風につづっても英語内の方言により母音の発音が確定しないといふ重大 な問題がある.あへて英語風の母音表記にしやうとすると,アイウエオはah, ee, oo, ei(語尾はey)/a, oのやうになるだらうか.
しかし,通用ヘボン式を実際に運用してゐる人が第一に求めてゐるのは英語とし てちゃんと発音できることではなく,なんとなく英語らしい表記,英語風の表記 である.学術的に批判に耐へるものではなく,日本人が日本語の延長線上で使っ て,それなりに使へて,英語の中で使ってもそんなに違和感がない,といった, いろいろな妥協の産物である.さういうごちゃまぜで妥協の産物であるところに, 生の言語のおもしろさがあり,通用ヘボン式の面目がある.
提案としては,既存の50音はヘボンの表に従ふ.英語風の母音表記なんで普及し てゐない,そもそも確立してゐないわけで,通用として存在してゐない.
四ツ仮名といふものがある.ジヂズヅである.これらは江戸時代前期にジヂとズ ヅの発音が同じになったために,どう仮名で書くか混乱してゐる.復古假名遣 (いはゆる歴史假名遣,とこしへ假名遣)では混乱する前の四ツ假名に従って書き わけてゐる.これによれば,ハハの一世代前がババといふハの濁音であるやうに, チチの一世代前は,ヂヂといふチチの濁音で表記され,語構成や日本語(あくま で古日本語だが現代語でも通じる部分も多い)の文法が明白になる面白さがある. 一方,
現代仮名遣いは表音式と表明してをり,同音になってしまった四ツ假名は書きわ けず,「ぢ」は「じ」,「づ」は「ず」として表記するのが建前ではある.しか し,机は「つくえ」なのに子供机は「こどもずくえ」になるといふのは奇態(けっ たい)である.現代仮名遣いでは折衷案的に一部の四ツ仮名については書きわけ てゐるため,通用ヘボン式でも書きわけたいといふ声がある.現今のヘボン式系 統では,現代日本語のジヂ・ズヅの発音が融合してゐることから,ジヂ,ズヅを 書きわけず,全てジズのローマ字 ji, zuで表記する.しかし,日本人の気持ち としては,假名で「ち」「つ」で表記してゐる語が濁音化してしまったものは, そのまま「ぢ」「づ」で表現したいといふ思ひがある.たとへば,先の子供机で ある.「こどもづくえ」はヘボン式ローマ字ではKodomo Zukueとなる.「気疲れ」 はKizukareとなり,仮名の「きづかれ」と乖離する3望月(もちづき)氏は信濃の名家であるが,これもロー マ字ではMochizukiとなってしまふ.これでは「すき」の濁音に見える.ご本人 としては,「私は餅が好きなわけではない」といひたいであらう.このやうに四 ツ假名を一律サ行としてローマ字化されることに抵抗ある人も多い.これを解決 するには,仮名を翻字することである.
なほ,どこまで四ツ假名を復元するかの線引はむつかしい.いくところまで言っ てしまへば,復古假名遣になるが,そこまで遡及する意図は通用ヘボン式にはな い4.たとへば,「稲妻」は稲の妻といふ意味だから「いなづま」であ る.云はれみると,「へー」と思ふが,「いね」+「つま」といふ語構成がどの 程度,通用ヘボン式の使用者の意識に登るかは不明である.稲妻は線引のギリギ リ意識に登らない側にあるだらうか.なほ,これはヘボン式ローマ字では Inazumaとなる.これを後述のやうに書きわけると,Inadzumaとなる.
仮名をローマ字で翻字するためには,四ツ假名に対応したローマ字を規定する必 要がある.ヅについては簡単で,ズがzu,ツがtsuであるから,ヅはdzuがもっと も妥当である.実際,島津(しまづ)製作所はShimadzuと表記してをり,「づ」を dzuと翻字することは通用ヘボン式でも既に実践されてゐるといへる.
ただし,これには異論もある.ヘボン式を愛好する人々は英語風なのが好みなこ とが多いが,もし本当に英語風な綴りにしたいのであれば,「づ」はdsuである べきである.なぜなら,英語にはdzといふ子音の綴りはほとんどないがdsは多く あるからである(e.x. Harrods).
ジヂについてはむつかしい.その理由は2つある.第一に,英語のjとヘボン式の jの音価に重大な違ひがある.そもそも英語ではjの音価は[]ではなく, []である.英語をもとにローマ字にするのであればjiはジではなく, ヂが相応しい.ジをjiとするのはフランス語やポルトガル語である.ヘボンは, ジとヂはまとめてjiとしてゐた. ヘボンは発音を転写するためにローマ字表記 をつくった.つまり,翻字のためではなかったので,このやうな問題は生じなかっ た.もしヘボンの精神を尊重してjiをヂとして翻字するとしても困難に直面する. 英語に[] (pleasureのs)を表記する適当な字母がないためである.これが 第二の理由である.フランス語やロシア語のやうな[]がある言語の解説の ために英語ではzhといふ綴りが発明されてゐる.shの有声音だからzhといふわけ だ.これは合理的な方法で,一面の価値がある.しかし,通用ヘボン式およびほ とんど全てのヘボン風規格ではjiは既にジに割当てられてゐる.ジをzhiとする 方法は合理的だが,通用の精神に反する.既存のやりかたに衝突しないためには, ジをjiとする既存の表記を尊重して,ヂはdjiとするしかない.
この場合は,稀であるがジの促音(たとへばドッジボール)を表記する際に,問題 が生じる.真正ヘボン式ではジは[]の子音と考へて,dを重子音ddと して表記する.jの中にdが含まれてゐるので「ッジ」はdjiとなる.たとへばドッ ジはdodjiとなる.一見すると促音に見えないが,真正ヘボン式として正しい. ここで,ヂとdjiと通用ヘボン式を拡張した場合,ヂの撥音(たとへば,ロッヂ) はddji(ロッヂはroddji)でいひが,ジの撥音,ドッジはdojjiといふやうにしな ければならない.なほ,通用ヘボン式ではドッジはdojjiと綴られることが多い. ヂをdjiとする方策は,少なくとも通用ヘボン式内では衝突がない.
なほ,四ツ假名を発音で書きわけるのは無理である.第一,四ツ假名は假名遣と して書きわけてゐるだけであって発音には反映されてゐない.望月の発音と餅好 き(もちずき)の発音は全く同一である.日本語では語頭の四ツ假名は []と[z]で発音されてをり,語中は全て[]と[z]となり傾向 がある.これはもともとの假名遣によらない.カナカナを表音的に用ゐると語頭 ではヂヅとなり,語中ではジズとなる.自信(じしん)はヂシン,鼻血(はなぢ)は ハナジとなる.このやうに假名遣は--現代仮名遣いであっても--発音を表記し たものではない.ここらへんの発音の相異は,フランス語やロシア語など []と[]を厳密に区別する言語の話者によれば明解に指摘できる が,明解に区別しないことが言語的特性の日本語話者には判然としない.語中と 語頭で発音が違ふのは,なにも四ツ假名だけではない.バ行も語頭では[b]の破 裂音だが,語中では[]となる.これらの相異は,発音しやすいといふ生 理的条件の他に,語頭と語中を発音しわけることによって,無意識のレベルで語 句認識を容易にするといふメリットがある.最後に,tsuと書いても英語話者に は「ツ(あるいはその類似音)」とは発音できないことがほとんどであることを書 き添へておく.
まだ四ツ假名の辨別があった時代,ポルトガル人宣教師たち(正確には,地中海 世界のいろいろな人達がゐたが,公用語としてポルトガル語を使用してゐた)は, ジとヂをjiとgi,ズとヅをzuとdzu/zzuを使って書きわけてゐた.ポルトガル語 ではjiとgi, zuとdzuは同音であるのに,である.このやうにローマ字は当該言 語にあはせて,弾力的な運用をすべきであると思はれる.
ローマ字の長音表記はゆれが多い.長音の表記は,正統なヘボン式ではマクロン
「 ̄」で示す.たとへば,十合「そごう」をSogと綴る.しかし,マクロンは
ASCII(いはゆる英字)で表記できない面倒な記号である.端的には,キーボード
トップの字だけ見て打つことができないので,非英語の外国語フリークな人か組
版フリークな人しかできない5.マクロンが
使ひにくいこともあって,ヘボン式系統の一派「標準式」では,マクロンのかわ
りに,山形/ハット/サーカムフレックス/シルコンフレックス/circonflexeと呼
称される「^」で示す.十合の例でいへば,Sogとなる.山形はフランス語で
使はれてゐることもあって,古くからタイプライターで出せたこともあり,ロー
マ字運動のさかんだった明治大正期の代表的な長音表記記号であった.山形を長
音記号として採用したのは標準式だけでなく,ヘボン式以外の日本式もさうであ
るし,訓令式,ISO3602式でもさうである.現在でも,山形は少なくともマクロ
ンよりは出しやすく,HTMLでは比較的簡単に表記できるが,を
â
,SogであればSogô
といった面倒くさい綴り
方をしなければいけない.テキストとしては文字コードを拡張ラテンといふ日本
語でないものにしないといけない6た
め,表記フリークの人以外は普及してゐない.こちらもASCIIではないため使へ
ない場面(たとへばメールアドレスには使へない)が多いし7,使へたとしても
書くのが面倒くさいし文字化けのおそれがあることから,避ける人,もともと知
らない人が多い.ASCIIで書けることが望まれてゐるのである8.
長音記号はASCIIで書けないし,英字新聞では長音記号を表記しないこともあっ て,無視したい人は無視してゐるし,そもそも長音記号を知らない人も多いが, なんらかの形で長音を示したいといふ人も多い.ひとつの方法は翻字式で,「伊 藤」「当山」といふ名前を仮名どほりに Itou, Touyama9と綴るのが翻字式である.英字新聞 風に長音記号を無視すれば,Ito, Toyamaとなる.これだと「糸」「富山」と区 別がつかないから嫌に思ふわけである.また,また,hを加へる人も多い.大前 をOmaeでなくOhmaeと綴るのがそれだ.確かに,Omaeと書くと「お前」と呼ばれ さうで嫌なのでOhmaeとしてゐるのだらう.しかし,Sogo (「そごう」のつもり が齟齬と読まれる危険もあり.「綜合警備」のつもりが齟齬警備?!)やKoban (交番ではなく小判と読まれる危険あり)のやうに当事者が気にしてゐない場合も ある.
長音を表記するのに,母音連続(ダブリング)で表現する方法がある.訓令式でも 山形(ハット)が使へない場合は,母音を重ねて示すとある.たとへば,十合は Sogoo,綜合はSoogoo,伊藤はItoo,大前はOomaeと綴ることになってゐる.しか し,ほとんどの人が実行しない.中には知らないで実行しない人もゐるだらうが, 知ってゐても実行しない人がゐるのは,ooの連鎖は,英語で「ウ」(spoon)と読 まれるためか,なんとなくカッコ悪いからかもしれない.したがって通用ヘボン 式では,長音を母音のダブリングで示すことはないといってよい.
上の伊藤をItouとするやうに,ただ仮名で書くやうに翻字する方法がある.通用 ヘボン式の長音表記では,この翻字と-h式が双璧である.もし規範として,通用 ヘボン式を整備するとすれば翻字を強く推奨したい.理由は後述し,ここでは記 述文法の立場で解説を加へる.
この方法の欠点は,ouといふ綴は,英語では[u](would)とか[u:](coupon), [Λ] (double)とか[au](house)とオの長音っぽくない語が多いことである.もっとも, [o:]thoughtのやうにオーに近く読まれる語もあるにはある.また,講師/仔牛を どちらもKoushiと綴るやうに形態素の区切が不明瞭になる欠点がある.講師は Kou-shiであり,仔牛はKo-ushiであるが,翻字の場合,もとの仮名が「こうし」 のため区別できなくなる.人名で云へば,伊藤はItouと綴り,イトーと発音する のに,井内はInouchiと綴るが,イノーチとは発音せず,イノ・ウチと発音しな ければならない.このため,綴を見ただけで発音を知ることができなくなる.もっ とも,ローマ字は発音を表記するものではない(語を表記するもの)ので,たいし た問題ではないといふこともできる.この問題は翻字一般につきものの問題であ り,仮名連鎖を翻字した場合には仮名連鎖のかかえてゐる曖昧さがローマ字に露 見したといふことである.
最初に,長音を母音+hで表記する方法(Satoh, Ohno)について吟味する.これは 英語風と思はれがちであるが,実際では,英語では母音+hは短音と解釈されやす い.たとへば,Sarah(邦名サラ)は音節で見るとSar-ahと分節され,[se@r-@](無 理に仮名書きすればセァラ.サラーやセラーではない)となる.母音+hで長音を示 すのはドイツ語やイタリア語に見られる.かういふ風に異なった原理が,まぜこ ぜになってゐるのが通用ヘボン式の醍醐味である.
この方法は長音の次に母音やハ行が来るとどこで音節が切れるのかわからなくな る欠点がある.たとへば,大矢とOhyaと綴ると,「おひゃ?」と読めてしまふ. 大原はOhharaになるが,これでは「風とともに」のオッハラさんになってしまふ. このやうな場合にはOh'ya/Oh-yaやOh-hara/Oh'haraのやうに分綴する必要が生じ るが,多くの大原さんや大矢さんたちは気にかけてゐないやうである.
長音を「-」(ハイフン)で区切る方法もある.たとへば,Yu-ji である. おそら く,棒引き(イチローの「ー」)がハイフンに似てゐるためと思はれる.これは英 語を意識しない文脈でよく使はれてをり,英語で長音を示す記号ではない.ただ し,後述するやうに分綴しておけば,そこで音節を切って読んでくれる可能性 (分節)が高くなるので,ハイフンの前の音節が開音節化するといふメリットがあ る10.なぜ分節がメリットになるかといふと,閉音節 を持つ言語(印欧語を含む)の多くでは,開音節は長音になることが多いためであ る.ハイフンで切るのは自立語の連接と紛らはしくなる.また,語末にハイフン を付けることはできないから,語末の長音と短音の区別には役立たない.たとへ ばイチローはIchiro-となるかもしれないが,これでは,ハイフンの次に何か語 が来ることになってしまい不都合である.が,Ichiroとすると一路と区別できな い.後述するやうにハイフンは自立語の連接のためにとっておきたいので,規範 としては推薦しできない.
また,アポストロフィで長音を表記する人もゐる.たとへば,Yu'suke Kubo氏は アポストロフィで長音を明示してをられるやうだ.アポストロフィで分綴してお けば,そこで音節の区切になる.アポストロフィの前が開音節になる.前述のや うに開音節は印欧語では基本的に長音っぽく聞こえることが多いので,その意味 では親和性が高く,通用ヘボン式の愛好者の志向とも合致しさうである.英語で はaの開音節は[ei], iの開音節は[ai], uの開音節は[ju:], eの開音節は[i:], o の開音節は[ou]とo以外は長音っぽくならない.長音表記で問題になる長音はoと uだけだから,多少は有効である.日本語のアの長音はほとんどなく,あっても 「オカーサン」のやうにokaasanとaの重字で綴られるので出番はない.同様にイ の長音はほとんどなく,「オニーサン」「新潟」のやうに長音っぽく見えるもの でもoniisan, niigataと母音のダブリングで表記する.また,エの長音は假名遣 でも「えい」と表記し,ローマ字でもeiと表記(たとへば「経営」はkeiei)する ことに異存はない.外来語としては「メール」のやうに「エー」と表記する例が ある.これについては,アポストフィよりもhで表記するはうが望ましいかもし れない.そもそも,mailと英語で綴り得る語をわざわざ通用ヘボン式でローマ字 表記しなければいけない必然性がないので,これについては単純に,翻字の際に はhで,それ以外は原綴を適用するとすれば済む.
人名地名などの固有名詞の場合,ほとんどの長音は和語にあるのではなくて,漢 字音である.たとへば漢字音で室町時代以前くらゐまで,カウ(耕幸康高),カフ (合甲),クヮウ(皇光黄広),コウ(興公厚)と別々の発音読まれてゐた漢字が,近 世になってコーに収斂してしまった11.もともとは中国語と して二重母音やの母音+子音(音節末)で読まれてゐた漢字は日本語では発音でき ないので,日本語で発音できるやうに二重母音二モーラに分解された 12.
その後,二重母音は融合して単母音の長音に変化した.母音+子音(音節末)の例 の一つに京がある.京はkyangのやうに読まれてゐた.ngが音節末の子音である. 当時の京の発音は現在の「犬がキャンキャン吠える」の最初のキャンと同じであ る.それがキャウになり,キョウになりキョーになった.もともとは日本語には 長音がなかったわけである.また,漢字音ももともと長音ではなかったが,二重 母音や母音+子音(音節末)が融合・収斂した結果,大量に長音が発生した.
このやうな音韻変化史を鑑みると,発音は易きに流れれるといふ命題13が思ひつくか もしれないが,さうとばかりは云へない.もし,発音し易いなら発音しやすい方 に流れるといふ命題が正しいならば,しゃべらないのが一番易しいわけで,全て の言語はどんどん,「アー」とか「ウー」とか遂には無声になっていくはずであ る14が,そんなことはなってゐ ない.発音しやすくても意味が通じないのであれば意味がないわけで,この音韻 変化は,発音が収斂しても実質問題,不便はなかった,あるいはむしろ,発音が 収斂することで意志疎通や社会生活になんらかのメリットがあったと考へるべき である.たとへば発音が収斂することで,空気を読む能力のあるなしをチェック できるなどである(空気を読む能力の高い者は収斂した発音でも理解でき,空気 を読めない者はコミュニケーションから排除される).
長音か短音かで意味が違ふ言葉も多いが,さう話は簡単ではない.たとへば, 「人形」はニンギョーのやうに語末を長音で発音する.これをニンギョと発音す れば,「人魚」になって「人形」にはならない.しかし,「お人形さん」といふ 語は,一般には「オニンギョサン」と短音で発音する.「お人魚さん」といふ語 とはアクセントで区別してゐる.このやうに,長音と短音が明確に区別できるも のではない語もあって,長短を区別することの意義が若干ゆらくごともある.ま た,歌謡ではしばしば,母音の長短は音符の長短にあはせて伸縮される.
長短とは異なるが,松浦や真岡はそれぞれ「まつうら」「もおか」と假名では綴 るが,発音は,「マツーラ」だったり「マツウラ」だったり,「モオカ」だった り「モーカ」してゐて一定してゐない.同じ母音の連呼で発音しても長音として 発音してもたいてい通じる.しかも,その発音が同音の連呼なのか,長音なのか, 日本語話者は区別した上でのことである.
このやうに長短は絶対なものではないため,長音を表記しない方針にも一定の妥 当性がある.
撥音「ん」の表記には二種類の課題がある.一つは,直後の音により撥音の解剖 学的な音・音声学的な音が異なることをどう表記するか,もう一つは,直後に母 音が来た時に,結合してナ行になってしまはないやうにするにはどう表記すべき かといふ課題である.
真正ヘボン式では「ン」は唇音(pbm)の前ではmとして,それ以外の音の前ではn として表記することになってゐる.ヘボン風規格では,いろいろで,外務省旅券 用や鐵道省駅名用のやうに唇音の前でmにするものもあれば国交省道路標識用の やうにいつでもnのものもある.
通用ヘボン式ではどうかといふと,圧倒的に「ん」はnで表記してゐるものが多 い.日本語話者の多くに,ある子音が唇音だとか歯音だとかといふ意識はない. だから,唇音かどうかで「ん」を書きわけるのは日本語話者の直感的な感覚には 合致しない.日本語話者にとって「ん」は常に同じ音である.言語学的には, 「ん」は音素/N/で示されるある定まった音素を示す.この音素 は[m](例.サンパチ式)であったり[n](例.サンハチ式)であったり,[ng](例. 三階)だったり,時に[](例.三一書房「サンイチ…」),[](例.慎一「シ ンイチ」), [](例.俊一「シュンイチ」), [](例.仙一「センイチ」) , [](例.婚姻「コンイン」;以上,母音の前の「ん」鼻母音となる)であった りする.語末の「ん」は口蓋垂音[N]となる.[N]は[n]と違って口が閉じない. これらの本当は違ふ音を日本語話者は全て同じ「ン」として体得してゐるわけで ある.
もっとも英語話者も唇音だから「ん」をmにしようとかさういふ理知的な考へで 綴るのではない.唇音の前の「ん」はmに聞こえるから,さう綴るだけである. 日本語話者にとっては「ん」は常に「ン」としか聞こえない.通用ヘボン式の性 格を考へると,規範としても「ん」は常にnとすることを追認するべきと考へら れる.
補足:「ん」とnとする表記は,もともとは日本式ローマ字綴りのものだが,な ぜかヘボン風ローマ字表記に取り入れられた.おそらく,日本人の直観として, 「ん」は「ん」だからであらう.日本式といふ綴り方は今日では広く使はれてゐ ないが,日本式の眼目の一つである音素に従った表記法は,通用ヘボン式の世に あっても,少なくとも「ん」とnとする表記の中に生きつづけるであらう.これ は重要なシストで,どんなに日本式ローマ字が忘れられた世になっても,誰かが 「ん」とnとする表記を掘り下げれば日本式ローマ字に到達するからである.
「ん」の後に母音,半母音が来る時は,語句をハイフン「-」かアポストロフィ 「'」で区切ることが必要である.たとへばケンイチは,真正ヘボン式では Ken-ichi と表記するやうに定められてゐる.標準式ではKen'ichiと綴られる.
通用ヘボン式では気にしないことも多い.が,例外もある.慎一は,Shinichiと 区切らずに使ふと「死に地」となってかなり縁起が悪い(日本人的には).婚約は Konyakuとなり,菎蒻(こんにゃく)みたいになる.信用が屎尿,善意が銭と日本 語的には甚だ問題なので区切りたいといふ希望も多い.ここでは,これを規範的 に検討する.
真正ヘボン式では,区切りにハイフンを用ゐるが,英語ではハイフンは形態素の 区切りといふよりはむしろ,自立した語の区切り・自立した語の連接15に使はれてゐる.この時点ではどちらも正当性がある.仮に,英文の中で使ふこ とを考へると,ハイフンを使ってShin-ichiとした場合,Shinとかichiといふ自 立語があるかのやうな錯覚を与へさうだし,連接した語句,たとへば,備中新市 (さういふ地名があるかどうかは知らない)といふ地名があった場合, Bitchu-Shin-ichiとなって,語句の切れ目が非常にわかりにくくなる.アポスト ロフィにすれば,Bitchu-Shin'ichiと綺麗に語の連接と形態素の区切が明記でき る.また,ここでは備中をBitchuと,母音の長短は書きわけてゐないが,前述の アポストロフィで開音節を明示する方法を用ゐるとBitchu'-Shin'ichiと長音も 撥音も連接もうまく表現できる.長音と撥音の区切は混同のおそれはない.なぜ なら,長音にしたい音節は母音終はり(開音節)であり,撥音はnで終はる子音終 はり(閉音節)であるからである.このやうに考へると「'」で区切るはうが望ま しい.前述のとほり,これは規範の提案であって,通用ヘボン式ローマ字現象の 記述ではない.
なほ,家電の三洋はSanyoとサニョ(左女?),サニョー(左尿?)といふ変な綴り である.Junichiroと綴ってゐる純一郎氏も多い(ジュニチロー?).かういふ表 記が気になるかならないかは個人差がある.
「ゐ」「ゑ」は現代仮名遣いでは用ゐないが,歴史的假名遣や江戸時代までの 「通用」仮名遣い16では用ゐられてゐた.「ゐ」「ゑ」は,ワ 行のイ段,ウ段だから,それぞれ wi, weと表記すればよい.発音を表記すると すれば,「ゐ」も「ゑ」も必要ないが,翻字のためにこの表記は必要である.筆 者の祖母の名前は「きみゑ」なので,この方式を導入すれば,めでたく表記でき る.また,この方式は素直であるために,発音の問題(wiと書くがウィと発音す るわけではない)を除くと既存のシステムと衝突することはまったくない.
拗音では特にジャ行の間違ひ(規格からの逸脱)が目立つ.しばしば例にあげられ るのは新庄といふ人名・地名である17.規格としてのヘボン式はいづれもShinjoあるいは Shinj, Shinjと綴るが,通用ヘボン式では,Shinjyoと綴られることがあ る.これが「あり得ない」表記であることは多数の方の指摘がある.筆者もまっ たく同意見であるが,ここで問題提起したいのは,どうして,そのやうな「あり 得ない」表記が通用するのか,である.
ジャ行はしばしば間違へて表記される一方でチャ行はcyaとかchyaと綴られるこ とはほとんどない.あるとすればtyaである(あったとしてもきはめて稀であらう). また,シャ行はshaともsyaとも綴られることが多い.なほ,syaは日本式の表記 であり,ヘボン式ではない.jisyoといふ折衷的な表記があることから,書いた 人はヘボン式のつもりで書いてゐると予想される.筆者はIzu-Oshima Syuhen-kaiiki(伊豆大島周辺海域)といふローマ字綴を見たことがある.大島の シがshiなのに,周辺のシュがsyuとなってゐるのは奇異な感じがするが,これが 現象としての通用ヘボン式の実態である.
このことは日本語話者は拗音をyと付加したものと無意識に認識してゐることが 予想できる.これを全行について整然と適用すれば日本式になってしまふのであ るが,通用ヘボン式ユーザーの(無意識の)判断は,日本式を単純に支持してゐな い.チシツフジの綴り方はchi, shi, tsu, fu, jiとなり,ほとんど揺れがない. ヘボン式が英語風でカッコいい18といふ意識もあるだら うが,音意識の上でこれらの音はそれぞれの行の中で別種と考へられてゐるのか もしれない.拗音で間違へてゐるところを見ると,拗音の音構成は『直音の子音 +y+母音』と理解されてゐるのであらう.これは,カナで拗音と「ャ」と書くこ とに牽きづられてゐるのかもしれない(想像).加へていふならばワープロでの日 本語入力も一因であらう.ワープロではチはti,シはsi, ツはtu,拗音は直音 +y+母音でと日本式の入力方法が多用される.打ちやすいし,語感や音構成にあっ てゐるためだらう(想像).ただし,ジはほとんどjiと打たれて入力されることが 多い.zはキーボードの端にあり打ちにくい一方でjはホームポジションにあり打 ちやすいことが大きな理由と考へられる19.このことからジャ行はジの子音j +y+母音と思はれたのか もしれない.
同じ硬口蓋化音で,別の綴方としてもいい音に「ニ」がある.厳密には舌のつき が違ふ20が,日本語の「ニ」はフランス語のChanpagneやイタリヤ語のgnやスペ イン語のel nioの, ポルトガル語のvinho(ワイン)などと似てゐる.音声 は心象なので異同の程度を議論することはむつかしいが,ニとgniはフ [ ]をfuと表記するくらゐには似てゐる.フラ語伊語西語葡語では [n]と[]は区別されて,表記も異なる.もし,音をある程度の相異でもって書 きわけるなら,ニもフラ語伊語風にgniとか葡語風にnhiとか,古英語風にcniと かkniと書きわけてもいい筈であるが,通用ヘボン式でそのやうな現象は見られ ない.不統一不徹底なのが通用ヘボン式のおもしろさなのだといってしまへばそ れまでであるが,話者の原則として,できるだけ拗音を『直音の子音+y+母音』 で表記したいといふ原則が見てとれる.また.cya, chyaがあまりないことから も,頭子音は1字が望ましく,2字となるchiは間違へないが,1字のjiは間違へや すいのかもしれない.Japanといふ呼称も影響してゐるかもしれない.syaは幸か 不幸か日本式で認定された綴り方であり,また,ワープロでの日本語入力でも使 用されてゐることもあって間違へやすいのだろう21.
ローマ字表記では,しばしばテューバのテュをどう綴るかといった特殊音の表記 法がとり沙汰されるが,真実,困難なのはそんなことではなくて,分綴や分かち 書きである.
ある地図の地名のローマ字表記に次のやうなものがあった.
紀ノ川: Ki-no-Kawa, 天ノ橋立:Amo-no-Hashidate, 仙ノ倉山:Sen-no-Kura Yama, 徳之島:Tokuno Shima, 江ノ島:E-no-Shima, 潮岬:Shiono Misaki, 日御崎:Hinomi Saki, 茅ヶ崎:Chigasaki, 霞ヶ浦:Kasumi-ga-Ura
助詞の「の」や「ヶ」を分綴するのかしないのかが不統一である.また「島」を わかち書きするのかしないのかも不統一である.
また,別の地図には,かうある.
経ヶ岳:Kygatake, 針ノ木岳:Harinoki Dake, 赤岳:Akadake, 沖ノ鳥島:Okinotori Shima, 江ノ島:Enoshima, 犬吠崎:Inub Saki, 石廊崎:Ir Zaki, 日御崎:Hinomisaki, 茅ヶ崎:Chigasaki,
「の」「ヶ」は分けないことで統一されてゐるが,「岳」や「島」,「崎」をわ かち書きするのかしないのかは不統一である.
分かち書きや分綴は語構成が透明であれば簡単であるが,語構成が透明かどうか はその人の日本語に対する見識(誤解も含む)に依存するため一概には云へない.
たとへば,江ノ島はおそらく全ての日本語話者に対して透明である.キノコは語 構成は「木ノ子」であり,知ってゐる人は知ってゐるが,知らない人も多いだら う.しかし,「木ノ子」といふ語構成解釈を聞けば一見して納得できる.これを 半透明といふことにする(前述の絆もこれくらゐの透明度と考へられる).まなこ (眼)は,「目の子」で「の」の母音が変音したと解釈されるが,この語構成は一 見して納得できるものではない.もはや不透明になってしまったと云へる.同様 に不透明になってしまったものに源(水な元)や掌(手な心)がある.これらは母音 交替を核にしてゐるが,現在の日本語では母音交替はほとんど意識されないため である.
母音が変化してゐなくても不透明な語はある.「いのち」は,息の「い」,助詞 の「の」,霊力の「ち」といふ語構成になるが,息の「い」や霊力の「ち」は古 語で現代語で使はれないため不透明になってしまった.息の「い」は多少は半透 明かもしれない.「ち」は「いかづち」,「をろち」,「みづち」,「かぐつち」 などで用例があるものだが,現代人にとっては不透明である.「いかづち」は雷 のことで,「いか」めしい力の意である.「つ」は沖つ白波と同じで「の」の意. 「みづち」は蛟(蛇)のことで,原義は水の霊力の意である.「をろち」は大蛇の ことで,岡(山)の「を」+上代の助詞「ろ」(意味は「の」+霊力の「ち」といふ 語構成で,山の霊力といった原義になる.「かぐつち」は日本神話に出てくる火 の神で,イザナミは「かぐつち」を産んだがために焼死してしまった.語構成は 「かが」やく+「つ」(「の」)+霊力の「ち」で,火の神に相応しい名前である. が,これらの語構成をどれくらゐの人が自分の言葉として身につけてゐるだらう か.
語構成意識の違ひが分綴や分かち書きになって表れてしまふ.ラテン文字を使ふ 諸国民からすれば,分綴や分かち書きが違へば,違ふ言葉になる.そのため,同 じ地名でも,分綴や分かち書きが違ふために違ふ地名になってしまふ. Ki-no-KawaとKino-KawaとKinokawaは違ふ地名なのだ.地名など公共性が高いも のでは異綴ができて混乱するとふ問題もある.通用ヘボン式では,それが露骨に 反映されてをり,分綴や分かち書きは,書く人の気持ちそのままである.
それでも,日本語話者同士ではかなり変なローマ字綴(たとへば日本式とヘボン 式のチャンポン)でも意思疎通できてしまふ.異綴が多いのは,異体字が多いの と関係してゐるかもしれない.日本では異体字が多いがそれでも意思疎通にほと んど支障がない.同様に変なローマ字綴でも日本人同士では意思疎通に支障がな く,それがゆゑに変なローマ字綴がとんどん拡大する,といふ図式が成立するか もしれない.ただし,外国には通用しない.異綴はそのまま異物を指す.といい ながら,アルファベットの本場のアメリカでは,異綴でも認められる例がある. たとへばWilliamの愛称がBillで綴り(と発音)は異なるが,同じ名前とされてゐ る.これは非公式に同じなだけではなくて,公式にも同じ人物を指す(例.ビル・ クリントン).このやうに異綴でも同物であると慣習的に認められてゐる例も多 い.また,非アルファベット文化圏で,ローマ字表記がいろいろあって混乱して ゐるのは日本だけではない.
日本語を仮名連鎖とするならば,分綴も分かち書きもしないローマ字綴がもっと も日本語らしい表記法であるはずであるが,さうなると,たとへば東松山は Higashimatsuyamaとなり,著しく長く,日本人にも読みにくい,しかも閉音節言 語の欧米人には更に発音しにくい綴となってしまふ.つまり,音節の区切がどこ にあるのがわからないし,音節数が多すぎる.これに対する明確な解答はないし, 通用ヘボン式でも混迷の中にある.通用ヘボン式の読み方としては,いかなる綴 りであっても,適当なところで切ってみる,また,分綴してゐてもそれが固定の 表記と考へずに分綴箇所を繋げたり,別の場所で切ったりして,語構成を自分で さがすべし,といふアドバイスが最善のものであらう.つまり,物事の混乱以上 に,自分の理解を拡げるしかないのである.
筆者自身は日本式ローマ字の翻字を推薦してゐるが,自説とは別に現象を深く理 解するために,ヘボン風のローマ字についても考察を試みた.
本稿ではなぜ(通用)ヘボン式が流行するのかについて考察したかったが,そこま で到達できなかった.なんとなく英語っぽい(すこし調べれば全然英語と違ふこ とがわかる筈だが)といったアメリカ志向もあるかもしれないが,結局,どうで もよいと思ってゐるからではないか,といふ印象をもってゐる.これは今後の課 題である.
辻野 匠 (2007) アルファベットと発音. 100+頁.オンラインドキュ
メント.
TuZino, T (2007) Transcription and Transliteration for the Cyrillic. 1p. online
document.
辻野 匠 (2007) 勝手なギリシャ文字翻字.4頁. オンラインドキュメント.
辻野 匠 (2008) 日本式ローマ字翻字の推薦. オンラインドキュメント.
この文書はLaTeX2HTML 翻訳プログラム Version 2002-2-1 (1.70)
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Ross Moore,
Mathematics Department, Macquarie University, Sydney.
を日本語化したもの( 2002-2-1 (1.70) JA patch-1.6 版)
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Debian Project.
Copyright © 2001, 2002,
Shige TAKENO,
Niigata Inst.Tech.
を用いて生成されました。
コマンド行は以下の通りでした。:
latex2html -white -local_icons -accent_images textrm -split 0 -noaddress web.
翻訳は tuzino によって 平成23年2月25日 に実行されました。