しばしば「辻」の点は1点か2点か問いあわせがあります.この文書は その問いあわせにお答えするものです.
これはまったく
つじのたくみ([辻]野匠)
個人にのみ適用されることで,他の 辻野氏(辻埜氏),辻氏,辻井氏[いはゆる辻氏同属]や辻のつく家名(辻山氏, 辻森氏,辻堂氏など)には適用されないことを最初に お断りしておきます.
ツジノタクミは点の数には拘泥しないので,そちらの環境で出た字で結構で
ございます.
(それではお困りになる・どちらでも出るという場合は
・明朝体およびゴチック体においては2点で,
・手書きを含む楷書体においては1点で
・手書きを含む隷書および隷書風楷書においては2点(または3点)で
[行草を書くお方にはなにも申しあげません]
お願いいたします[間違えても大きな違いではありません])
こだはることもできますが,後半で長々と述べる樣に, こだはり出すとたいへん面倒です(笑).※いうまでもないですが,誤字はご遠慮ください.たとえば,「迅野匠」や 「近野匠」「述野匠」などの例があります. これらは[辻]野匠の名前とは社会的には認められません(でも, 郵便物が届くんです.ということは社会的に認められてゐる?笑).下の名前では, ときどき「匠」も「匡」(まさし?)や「一近」(かずちか?)と書く人が居ります. 「近野一近」や「迅野一近」(じんのかずちか)って明らかに「[辻]野匠」とは別人だと思うんですけれど...
ほとんど同じものの差異に注視することは差延としては面白く, 細い字体の違いなどは[辻]野匠も注目しているところですが, 人樣が書く名前に辨別を要求することは,己の名前であっても 文字の公共性,名前の社会性を考えると[辻]野匠は採用しません ( 有効な差異 がそうでないかはしばしば線引問題になるんですけれどもね ).
具体的に「[辻]野匠」の例を示します.
↑明朝体(IPA).もちろん1点でもOKです!当方は拘りません.
↑教科書風の書体.手書きの字体の見本として作成された書体.いはゆる楷書の正體に準拠.
↑隷書風の書体.楷書風でもある.隷書風楷書の例としてあげたが,かなり隷書
より.二回拂ってゐるのはご愛敬.
↑同じく隷書風の書体.より本格的.
MS明朝などのフォントはVistaになる前は1点でしたが,Vistaから2
点になりました.MacもLeopardになってからヒラギノは2点です.この文章中の「辻」も新
しいフォントで見れば2点ですが,古いフォントだと1点の筈です.
どうしてこうなるのでしょうか? どうすればよいのでしょうか?
ご承知の方も多いと思いますし,この原稿をご覧になっている方には承前でしょうが, 「辻」のシンニョウについては2点と1点とあります.おおざっぱな言い方をする と,2点が古生物学的意味で保存的字体,1点が略字体といえるでしょう(この考察は後述).
文部省の主管する国語審議会では日本国で通用すべき漢字に制約を与えています.
いはゆる当用漢字(廃止)および常用漢字です.それによると「辻」などのシンニョ
ウは
1946年 `当用字体'は1点,ただし「辻」そのものは当用漢字は含まれない(笑)
1981年 `常用字体'は1点.ただし「辻」そのものは常用漢字は含まれない(笑)
いはゆる表外字(当用/常用漢字表に掲載されない字ということ)というわけです. 表外字については,旧字(ここでは戦前の正字という意味,いはゆる康煕字典体) のまま(つまり2点)でするというのが,公式な対処法ですが (当用漢字の趣旨からすると,表外字は使うなといふことかもしれません(笑) ⇒「辻野」は「つじ野」?).
一方で,表外字についても`当用字体'にならうという`朝日字体'というのもあり ました.より一般的には,新字体を拡張したことで拡張新字体と呼称されること があります.こららは公式なものではありませんが新聞で使われたこともあって, 広く流布したようです.
1950年代 拡張新字体(非公式) 1点
非公式と書きましたが, 国語審議会は拡張新字体の対象とする表外字についても 2000年に表外漢字字体表を発表し,一応の規制をしています. 一部にのみ拡張新字体を採用し,全体的には康煕字典を範とし たもので,反拡張新字体的な傾向があると言えます.子細は略しますが,シンニョウ については1点も許容されています.
拡張新字体とは`常用字体'(〜`当用字体')とほぼ同じです.違いは, `常用字体'及び`当用字体'が,「払(拂),仏(佛)」の傍は「ム」に略されているのに 「沸」は略されていないなど内部に不統一があるのに対して,拡張新字体はより 原理主義的・機械的に,`常用字体'及び`当用字体'で採用された略字のパーツを 表外字に「拡張」しているところにあります. たとえば「冒涜」の「涜」がそれです.傍は「賣」なのですが, 「賣」が「売」と略されているのに倣っているわけです. とはいえ,それでも不統一はあります(私は別に統一しなければいけない と思っているわけでありません.念のため).「燈」は「灯」と傍が「丁」 になりましたが,「證」は「証」と傍は「正」です. 傍を「丁」にすると「訂」になってしまいますからね.また, 「澄」はあいかはらず そのままです.傍を「丁」にすると 「汀」/*なぎさ*/になってしまいますからね. `常用字体'内部でもcoherentではありません.
注意したいのは,これらの略字体は,なにも終戦後,あるいは1950年代になって 急に出現したわけではなく,奈良時代から公文書や経文,能書などで連綿と 筆写に使われてきた略字もあることです.とりあえず,当用漢字字体表には 字体を筆写体のそれにできるだけ近づけた云々の文言があります.(が,筆写=書道とするなら,あり得ない略字もあります.筆写といっても色々あるのでせう).
一方,計算機上で使われる漢字を制約するJIS漢字は
1976年原案では2点(`康煕字典体'に倣う=表外字の原則通り)となっております.
1978年制定では3刷まで1点,4刷から2点 -- JIS C 6226:1978
1983年改訂では1点(`常用字体'に倣う=拡張新字体)に変更! -- JIS X 0208:1983
1990, 1997年の改訂ではこれを継承
2004年改訂では2点(`康煕字典体'に倣う=表外字の原則通り) -- JIS X 0213:2004
今ご覧になっているこのテキストのフォントがJIS2004に対応したもの(MS明朝・ ゴシックでいうとVista以降にリリースされたもの.XP-sp2. Macであれば Leopard以降)であれば,2点になっているでしょうし,それ以前であれば1点のま まの筈です.
規格における1点か2点かの混乱は,「辻」「遼」「蓮」「遥」など表外字 に限った話で,同じシンニョウでも当用漢字に含まれる「近」「迅」は1946年以 降常に,上のどの規格であっても1点です(ただし,いはゆる旧字・ 康煕字典体は2点).
このように二転三転しております(強いて言えば現在政治的に正しいのは2点;広
く流通しているのは1点かも)が,[辻]野匠は拘泥しないので,どちらでも構いません.
なお,「辻」「遼」「蓮」「遥」など表外字の印刷標準体は康煕字典体(いはゆる旧字体)と同じ2点です.
このように環境によって異なり,どっちの表記にすべきなのだろうかと,戸惑っ てしまうかもしれないと思い,また,よく問い合わせがあるので,ここに書いて おきました.
そもそも論からこの問題を解き始めることにする.
この問題は当用字体などといふ数十年前にはじまる問題ではない.
下図はシンニョウの変遷を主に筆で記したものである.
篆書 | 隷書 | 楷書 | 明朝体 |
行書 | 明朝体(IPA明朝「辻」より) | ||
甲骨文や金石文は別として,篆書(統一秦帝国以前の通用字体;
今でも高級な印鑑では篆書体で印字される)では、
シンニョウは、図最左上の字(図の篆書)のやうに「彡」の下に「止」,
となってゐた.今日のシンニョウに比べて相当字形が複雑である.また,「止」 の下一文字は旁の区域まではみ出してゐないので,まだニョウ(繞)ではなく, ヘン(篇)である.この字は単体で「チャク」と呼む.
彡 止
さて,
ここの「彡」は「彳」のことで,「行」の半分だけ示し,道を意味する.「行」
は十字になった道のことで,そこから転じて「行く,行う」の意味となった.皮
肉なことに「行」の本来の意味は「辻」であった(だからといって,「辻野」を
「行野」と書く人はゐないだらう.今の日本では別人になってしまふ).閑話休
題.「止」は今は「とまる」といふ意味で専ら使はれる漢字だが,もともとは足
の象形文字で,「行く」といふ意味であった.
これが隷(隸)書(漢代)になると大幅に簡略化されてしまふ(図上段の隷書;篆書で
あったホヘが消失してゐる).一般には,隷書になる時の簡略化を「隸變(隷変)」と呼
ぶ(実際には秦代に相当,簡略化されてゐたらしい).
「彳」の三本は「彡」として保存されてゐるが,「止」は大胆に省略されてしまっている.全 体として見ると,隷書においてはシンニョウは2点となってゐることに注意され たい.「彡」は3点であるが,下の一本は「ノ」についてゐて, 点にはなってゐないためである.(「ノ」は上下につき.「ヘ」は右に張り出す)
彡 ノ ヘ
楷書は隷書を簡略化した字体だと誤解されてゐることがあるが,隷書と楷書とは 直接の関係にはない(楷書南朝起源説による). 隷書を簡略化したものは一般には行書と考へられてゐる. ただ,隷書風の楷書はしばしば六朝時代の北朝(たとへば北魏)にはある(日本でも 飛鳥や藤原京の木簡・漆紙,金石文の多くはこの書体)もので, 「全く関係ない」とは一概にいへない.文字学や書道の定義はともかく, 印象論的には,これらは楷書に見える.
その楷書(隷書風でない)が広く行はれるのは隋・唐代であるが,楷書の規範にな る干禄字書(唐代)ではシンニュウは1点になってゐる.2点のシンニョウは異 体字としても扱われてゐない.「匠」を「一近」と書く,ほとんど誤字をいって いい字が異体字として収められてゐることを考えると,2点シンニョウは誤字か 筆がすべったか,あまりにも明確な間違い(辞書に載せなくてもわかる)なのでと りあげなかったのかもしれない.
楷書は1点が大勢であるが,その1点のシンニョウの字体には特徴がある.
と,点の次が,「ろ」のやうな形になってゐる.毛筆は表図にあるが,この「ろ」 の起源については2つの考え方ができる.ひとつは,隷書のロハニが一体化・融 合して,「ろ」になったとするもの.もうひとつが,篆書のハニホヘが一体化・ 融合して,「ろ」になったとするものである.この場合,イは消失してゐる.表 図の楷書の註は隷書起源説によってゐる. 他の字体字典,たとへば書家が参考にする五體字類(大正3年,高田 竹山監修; 正確には類の大は犬)のシンニョウの楷書は全て1点となってえいる. ただし例外が3つあって、唐碑の「通」と首山舎利塔碑(隋)の「迪」, 補遺の「{端の旁にシンニョウ}」は2点である. このうち唐碑「通」はほとんど行書に近く,点と線が連綿と続いてをり, 「ろ」の部分が2点になっていると見なせるので, 点の要素としては1点といへる.首山舎利塔碑(隋)の「迪」は 明確な2点である.補遺は編輯者によって補はれたもので出典は 不明である.また,智永の千字文では1点2点が混用されてゐる. 2点のものは楷書で明確なものもあるが,行書あるいは 行書と楷書の中間的書体で,後述するように行書風の「ろ」の部分が ほとんど「ヽ」 あるいは「ゝ」となってゐるものもあり,非常に多彩である. また,唐碑には, 篆書のチャクの形でシンニョウを楷書で書いたものもあって(下図),(「ろ」は下につき.「ヘ」は右に張り出す)
ヽ ろ ヘ
ここでは次のやうに結論しておく.正字とされてゐたのは楷書 では1点で,社会的には1点が大勢であったが, 2点も使はれてゐなかったわけではない.
行書は下図あるいは表の下段中のやうになる.
「ろ」の部分がほとんど「ヽ」あるいは「ゝ」になっている.表の下段中でみる と点の帰属があまりはっきりしない.ハの点は第2点目か第3点目か,おそらくさ ういふことを気にしないのが行書なのだらう.(「ゝ」は下につき.「ヘ」は右に張り出す)
ヽ ヽ ゝ ヘ
かうしてみると全体として,歴史を通して楷書は1点,行書は2点(ただし「ろ」 が「ゝ」となる)であったといへる.
明朝体の多くは楷書に鱗をつけた,印刷用の書体である(表図の右列)が,楷書と しばしば字形が異なっている(例「人」).シンニョウについては清朝の明朝体を 「康煕字典(康熙字典)」(筆者のは明治時代の復刻版)で見ると,2点になって おり,隷書に近い字形となっている(表図上段を相互に比較されたい).
楷書では「ろ」のところが,明朝体では「フ」になってをり,横線が一本足りな い.が,点の数が1点増えてゐるので,横線と点を等価と換算すれば,数はあっ てゐる.逆に楷書では点が1つ横線になり,結果として「ろ」のやうになったと いる.楷書と明朝体(および隷書)とは篆書の略し方の流儀が異なり,点の数だ けみて云々はできないといへよう.また,康煕字典の編集方針として,篆書を範 とする復古調の字体を正字としてゐたので,それが影響してゐることも考へられ る.当時(日本でいへば吉宗のころ)の一般的な明朝体の正字体とは違ってゐたこ とが指摘されてゐる.(「フ」は下につき.「ヘ」は右に張り出す)
ヽ ヽ フ ヘ
結論としては,明朝体では2点とするのが,文字の形の保存としては正しい姿と いへよう.ただし,楷書体においては,伝統的に1点であったし,また文字の形 としても1点のはうが正しい,といふことになる.
しかし,その正しさには限りがある.1点,2点と拘泥してみてもそもそも シンニョウは隷書になった時点で字体がかなり省略されてをる(隸變).だからといって 省略されてない篆書のはうが絶対的に正しいとはいへない(篆書の時点で「行」 が「彡」に略されてゐるといふ話もある).
前述のように康煕字典は篆書を範として篆書風の明朝体を創設してをり,康煕字 典の明朝体は当時正字として通用してゐた明朝体とは異なる.康煕字典以前の明 朝体では1点シンニュウもあった.康煕字典の正しさは康煕字典の正しさであっ て,全面的な正しさ(そんなものがあったとして)ではない(付記しておくが,私 は康煕字典を愛してゐる.愛は正しさではないからだ).
当用漢字になって字画が省略された字(1画損では類,器,突などの犬)が多く, シンニョウもその一つであるが,それ以前,伝統的な楷書あるいはその前の隷書 になったときに省略されてゐる字画も多い.たとへば,(1)「青」の上は本来は「生」 であって,1画損なわれてゐる.また,青の下半分は本来は「丹」といふことに 康煕字典(および説文)ではなってゐるが, 金文では「斉」のから「文」をとった形つまり現行の「青」の字形であり, ここにも混乱がある). (2) 「羅」(薄布の意)の四(よこめ/あみがしら)も本来は「冂」の中に「メメ」 (网)で,網の意である. 「罔」(音符になったので後に「網」と糸をつける)など,網や布・織物関 係の字が多い.つまり,略すことで字の成立が不明になってしまふ字が多いわけ である. (3) 「郊」の旁「おおざと」と「阪」の篇「こざと」はどちらも同じ 「ア」に似た字体であるが,本字は「邑」と「阜」で別である.さう思ってみる と,「おおざと」には村や住所,共同体に関係する字が多く(郵便の郵とは馬の 駅のこと),「こざと」は丘や坂関係の字が多い(陛下の陛とは天子の御座の高 台のこと).このやうに,当用漢字以前に,漢代隷書や唐代楷書の時点で略され ている字体も多い.そのうちのあるものは康煕字典体で繁体化したもの[肉つき, そらの月,舟つき]もあるが上の例のように略されたままのものも多い.シンニョ ウの点だけを取り沙汰するのではなく,全体の歴史の中でシンニョウを位置づけ なければならない.
また,今日,シンニョウが1点か2点かで混乱してゐるのは,シンニョウの正字 (なにが正字かは曖昧であるが)が明朝体と楷書体で点の数が違ってゐることも 混乱の要因になったといえる.加えて,字体にはある程度の揺れが付きものであ り,それが伝統的な字体に対する考え方であったのに,画一的に1点か2点かを決 めないといけないと思ってゐる態度も原因のひとつであらう.漢字は一点一画を 疎かにできない所と大局観が必要な所があり,それが漢字文化の勘所でもあるが, そのメリハリを理解することはむつかしい. たとへば「于」「干」「千」は一点一画を疎かにできない. 人名でいうと太田と大田,犬塚と大塚では別人である.このやうに一点一画を おろそかにできない場合が確かに漢字にはある. 一方,辻は1点であろうと2点であろうと辻にしかならないので,それほど拘 泥しなくてはいいというのが[辻]野匠の自分の名前の漢字に対する意見である.
が,
同時に,文字に
補足:「辻」は国字(日本で生まれた字)であるから中国の典籍をいくら探して も類例はない.筆者が知ってゐる例では南北朝のころに「辻」が登場する.代表 的な辻氏属は,甲斐国造家三枝流,高句麗渡来の狛氏(京の楽家),坂上姓田村 麻呂三男正野流(畿内),清源姓満政流近江高島郡喜積氏,などがある.
シンニョウは,もともとシニョウと書いた.ただし,昔はンを表記しない
こともあったので,これをどう呼んだかは別の研究が必要である.なぜ,シン
ニュウと呼ぶかについてはいくつか説があり,次の4説がよく知られてゐる.
[1] 四画のニョウの意.シニョウと呼む.
[2] 「進」の字のニョウの意(参考:エンニョウは「延」のニョウ).こ
の場合はシンニョウになる.
[3] 「之」の字のニョウ.明朝体の1点シンニョウは「之」に酷似する.
「之」はシと呼むのでシニョウになる.
[4] 「止」の字のニョウ.「止」の書写体は.明朝体の1点シンニョウに
酷似する(つまり,「之」に類似している).「止」の書写体と「之」の字形の違ひ
は,個々の点画が繋ってゐないところである(参考.「走」の書写体風明朝体「赱」あるいは
「定」の書写体⇒字体規範データベースへ).この場合は,「止」をシと呼む
ので,シニョウとなる.
管見では[4]「止」がもっとも有力なのではと思ってゐる.といふのは, シンニョウは字源的には「彡(彳)」に「止」であり,「止」のニョウというのは 正鵠を得ている.もちろん,走繞(たとえば起)なども「止」を含んでゐるので, シンニョウだけ「止」をとりあげるのは恣意的という反論もあらう. ただ,「走」は楷書になっても,上の「土(夭)」の形が維持されてのに比べ, シンニョウは隷書の時点で「彳」の形は消滅し,ただの点々となってしまった(隷変). ために,シンニョウについては字形を「止」で代表しても恣意的ではない. 隷書や楷書の形からも容易に書写体の「止」が想起できる.ただ,シンニョウ という語が出来たときに,字源を正確に把握していたかどうかあやしい. 字形の類似から,単純に[3]「之」や[4]「止」で当てがわれた可能性もある. 発案者は正確な字源を知っての命名だったかもしれないが,少なくとも流布する段階で, 正確な語源云々よりも,覚えやすい[3]「之」や[4]「止」に語源が`付會' された可能性はある.
[3]と[4]は別もののように思へるかもしれないが,実際は同根である. もともと「之」と「止」は同字で,足跡,転じて歩く(または止る)の意となった. 後に「之」は同音の假借からコレといふ指示語の機能が付加されたが, 古い意味は今でも「之」にはユキといふ訓があることでもわかる. 「止」の書写体が「之」に類似してゐるのも,もともと同字だからで, 差延として微妙な字体の違いをつけたことの表れといへる.
いろいろ考察はしてみたものの,どれが語源かは管見では確かなことは言えない. こういうものは最初の語源に関係なく,語呂合せ的に, 記憶に残りやすい意味付けが通行する(語源俗解, Volksetymologie, folk etymology, paretymologia)もので, それが本来の語源を雲隠れさせてしまふ. シンニョウの場合,上の4候補どれもVolksetymologieからみると魅力的である. 確かな語源は正確な知識といふ点では重要だが, 単に覚えるため,コミュニケーションのためなら語呂合せのはうが適してゐるためだ. 語源学は学術的にはむつかしい...
多くの人は,シンニョウの点が1つか2つかは疑問に思ふが, 実は3つといふ選択肢だってある(パソコンのフォントに入ってゐないだけで). 隷書は3点になることが多いといふ,最初の話を思ひだしていただきたい.
篆書を明朝体で表現したのが,康煕字典体であるとすれば,隷書を明朝体あ るいはゴチック体で表現したものだってあっていいはずだ!(笑)
画にすると次にやうになるであらうか.
ゴチで書くとかうなる.
実は[辻]野匠個人([辻]埜匠)は,筆記では点は3つ打ち,隷書っぽい楷書で書いてゐ
る.私には弟がゐるが,彼は点を打たない.