専制君主的な上司がゐたとする.その上司のもとでは部下は育たない.こ れまでの部下は,出ていってしまったか,追い出された(#1).それでも仕事は あるし,その上司自体はそれなりに有能で影響力があるので新しく部下が投入 される.中間となる部下(中堅層)は全て出ていってしまったので,その上司と 部下の間には年齢・経験・レベルに開きがある.まともに議論をしても太刀打 ちできない.能力にも雲泥の差があるので,部下は専制上司のいいなりである. 誰も,専制上司に意見を認めさせることができないため,専制政治は止まらな い.
中堅がゐない組織はどうなるのか? 結局,組織自体を破棄するか,上司を 追放するしかない.それが結論である.上司不在では組織が保たない場合もあ るから,その場合は,どんな経緯を取るにせよ組織を破棄するしかない.理由 は,1,専制上司に人を育てる能力はない.2,若輩者の部下が−−少なくとも −−専制上司の元で,専制上司に比肩し得るやうな力を身につけることは苦し い.3,では君子豹変はどうか? 専制上司が心を入れ換えるのである.実はそ れも無理だ.
たとへば,あるところに独裁国家があり,独裁元首がゐたとする.彼が国 内の疲弊を見て心を入れ換へたとする.そして,独裁体制を廃止して,民主化 を推進しようと,ご「英断」を下したとする.部下には「民主主義国家・自由 主義国家を研究して,それに倣いなさい」を「命令」する.これで独裁国家は 改善されるか?不可能である.
なぜか?民主化をすすめて,妥当な意見を部下が「言上」しようと思って も,これまで上司がやってきたこととあまりにも違いすぎるため,「これを言へ ば追放(at best)されるかも」と「推測」するので,結局,部下は民主化につい て学ぶことに躊躇するし,意見を上申することも諦める.これまでその独裁国家 で生きて来た習い(習慣)に従ふのである.これは,その独裁者が,本当に心を入 れ換えてゐやうとゐまいと関係ない.彼のこれまでの行いが,彼の人格を形成し てゐる.本人は内心で自分のことをどう思ってゐるかはわからない.アル・カポ ネだって自分を善人だと思ってゐた.しかし,部下にとっては彼のこれまでの行 動が彼の爲人(ひととなり)を語ってゐる.急に「けふから私は心を入れ換へたか ら」と言はれて信じる者がいくらゐるといふのか.地雷で脅迫されてきた者の中 で,地雷が撤去されたといはれて信じるものはない.
独裁国家を例にあげたのは話が逆だったかもしれない.ワンマン会社では このやうな自体はしばしば起り得ることであり,すこし,他の会社を見渡せば 似たことは起きてゐる.
もし,上司が「心を入れ換へた」といって,それで世界がかはるなら, 2008年近年において発覚した「偽装事件」はありえないことになる.逆に言へば, 連続して発覚した「偽装事件」は上司が「心を入れ換へる」ことが如何に稀かを 物語る.最初に発覚した某はともかく,後の事件は前に似た事件が発覚したこと を知ってゐたわけである.それでも行いを改めなかった.「偽装事件」は内部告 発がないと発覚は難しい.逆に,内部告発があれば,簡単に発覚する.偽装して ゐることを知ってゐる上司なら,内部告発される危険性くらい認識すべきだが, これまでの「偽装事件」の上司たちは,まったく意に介さなかった.専制上司は 反省しないのではない.反省できないのだ.
常識的に見れば,これらの上司は考へられない愚か者である.し かし,上司にとっては発覚するその時まで,反省しないのが常道である(と認識 してゐる).ものごとがさうなってゐるのは,それが,少なくともそれだけを見 れば,もっとも適当だからだ.
偽装の一連の発覚劇では反省しないのは結果にように見える.しかし, 反省しないのは結果ではない.そもそもの原因である.上司はこれまで,そこそ こ仕事できて,(少なくともその組織では)自分に意見するものはなかった.部下 は次々を落ちこぼれ(あくまで上司の視点から見ると),自分は次々と業績をあげ ていく.まわりは愚か者で,自分は正しい.このやうな環境で育ってしまうと, 上司は万能感に支配されるやうになる.ここで,少々の「偽装」あるいは強引な 手法をもちゐても,少々であるから誰も問題視しない.誰も指摘しないからエス カレートする.さうやって,上司の専制度は自己フィードバックにより増植する. かうなると,専制上司は自分に意見する者は敵として認識する.敵は排除するだ けのこと.その人にも,組織にも自浄作用はなくなる.
いつしか「万能感」は社外,国外でも通用するものと思い込み,どう見て も次は自分のところと思ふべき事件が発生しても,「俺は大丈夫」と思い込む. あげくは,記者会見で自信満々で嘘をつく.それがバレて,信用を失い,会社 を失なってもなお,彼等は,心から反省しているようには見えない.専制は恐 しいものである.部下も悲劇だが,本人にとっても恐しい.全てを失っても 「自分は特別」といふ妄想から自由になれないからだ.
「万能感」に支配された上司の身の上は上司自身が安養すればよい.ただ し,上司は直らない.直るとすれば全てを失った時だ,したがって組織として は組織自身の健康のためにも上司のはうを「追放」するしかない.これは意地 悪で云ってゐるのではない.上司と組織の健康を考えた,最低限の常識的な提 案にすぎない.
(#1) ...出ていってしまったか,追い出された...: 一般的には前者を浮 きこぼれといい,後者を落ちこぼれといふが違いはない.その上司は全て出て いったものは落ちこぼれだと思ってゐるかもしれないし,落ちこぼれたと思っ てゐる者の中には浮きこぼれもゐるだらうし,本人は出ていったつもりで,実 際には追い出された場合もある.人はそれぞれ思ひたきやうに思ふ.誰もが自 分は主体的に人生を選択する権利はあるし,主体的に選択したと思ふ権利もあ る.
上の話とは直接の関係はない.
.ある会社の例である.会社に限らない.どこにでもある話である.それ は上司の問題である.上司は無能なのではない.逆に非常に有能である.その 有能さが災悪なのである.
上司は部下を信用してゐない.どんなにささいなことでも自分が見てゐな いと気が済まない.部下もそれに順応(?)して,なんでも上司にお伺い を立てる.さうすると,「こんなことくらい自分で考えろ」と上司はますます 部下を見下す.が,かといって部下は上司を通さずに,自分で考へて案件を進 めると上司が逆に不機嫌になるので,バカにされつづけながら,お伺いを立て つづける.
当然ながら,その上司の仕事は多い.自分で多くしてゐるところがあるが, 大量の残務処理のために,延々を残業を続ける.午前様でないことのはうが稀 なくらいだ.ストレスを澑めてゐるのかもしれない.上司曰く「このストレス をバネにして,仕事をこなしていくのだ」.
上司は外部(たとへばエンドユーザー,専門外の研究者)に対して「あいつ らは,XX(上司の専門)のことをなにもわかっていない」と内心,見下してゐる. 確かに,そう思ふだけのことはある(上司がそれだけ優秀だといふ意味である が,根本的に,誰も,他人のこと,他人の分野のことなどわからない).した がって,上司は共同でする仕事も,内外の関係者を巻き込まず,自分のところ で(夜中に)作成して,それを関係者に見せて,承認をもらうというやり方で仕 事を進める.関係者は,上司とかかわりあいになりたくないから,よく見ずに OKを出す,あるいは,黙殺するが上司はそれを承認を解釈する.上司の上長で あっても,上司を止めれないことさへある.関係者は心の中では「こんな仕事 は意味ない,こんなやりかたではうまく行くはずがない」とつぶやく,上司に 聞こえないやうに.
上司は発注先に対しても見下した態度を取る.確かに,上司は発注する内 容に対しても,発注先よりもよく知ってをり,愚かな発注先に,教へを垂れて やってゐるんだといふ意識で接してゐる.当然ながら,発注先も,金が目当て で付き合ってゐるだけで,前向きに仕事に取り組む気力はない(あったかもし れないが,そんなものはしぼんでしまった).ただ指示されたとほりに,黙々 とこなすロボットに徹する.上司はそれを見て「指示待ち人間ばかりで使えな い」と不満を表わにする.
上司に問題があることは明らかである.かといって,上司をクビにすれば いいかといふとそう簡単ではない.上司をクビにすれば,その部門の機能は消 散してしまう.クビにしなければ不毛な職場は改善されない.ほおってをいて も破綻する.時間の問題である.そして,アクションはタイミングの問題であ る.解法はただひとつ.打ち出の小槌はないことを認めること.