ある退職劇に見られる勘違い

ある人が会社の人に「退社することにしました.」と告げた時,反応が3つにわ かれた.第一は,理由をまったく問はず,これからの計画を聞いて,祝福しつつ, 助言をくれる人達である.第二は,「なんの相談もなしに」「なぜだ?」「理由 は?」「理由が理解できない」「ここを辞めてもダメだよ」と問いつめ,無理解 を示す人(笑),否定する人達である.第三は,無関心な人である.第三の人達に ついては書くことがない.

第一の人達は,当人がなぜ出ていきたいのか,いまさら理由など聞かなくても知っ ている,見当がついてゐるので,わざわざ聞くことはしない.多少は確認のため に「やっぱり,斯く斯くのことで?」くらいは聞くが,むしろ,これからのこと に関心をもってゐる.第一の人達は,当人の判断を尊重し,今後を祝福する.精 神的な協力者(もちろんそれ以上の協力もあり得る)である.当人にとってありが たい存在である.

第二の人達は,当人にとって対処しづらい相手である.理由をできるだけ誠実か つ穏便に申上げようとするのだが,理由があまりにもたくさんありすぎて,とて も口頭で伝へることができない.文書にまとめようとしても,あまりも文章が長 大になりすぎて,人も読ませようとも思へなくなってしまう.とりあえず口頭で, なんとか掻い摘んで伝へようと,四苦八苦するが効果ない.実際,第二の人達は 納得したいわけではないのだ.退社が,第二の人達に対する批判に思へて,それ を受け容れられないだけなのだ.理由を端的に言い切ることもできる.「見切り をつけた」それだけだ.どんなに理由を連らねても,納得したくない人に納得さ せることはできない.人間は思想の自由をもつから,納得したくない人は納得し ないでゐる自由をもつ.当人も納得させるのは諦めるべきだ.また,自分が受け 容れられないことを,説明という名目で否定することは思想の自由に反する.自 分は受け容れられない,それでいいではないか.

理由は,かうも言い換へることができる.「不満があるから辞めるのではない」 つまり,「辞めずにゐる理由がなにもない」のである.これはパラダイムの転換 である.第二の人達は,「辞めない」のがパラダイムになってゐるから,わざわ ざ「辞める」ことに理由を(形式的にも)求める.立証責任は辞める側にあると思 ふのである.当人にとっては「辞める」ことがパラダイムになってしまっている ので,むしろ「辞めずにゐるべきだ」といふなら,さう主張する方が理由を提示 してほしいと思ってゐる.このやうにパラダイムが転換してゐるので,両者の間 は通訳不可能の状態になってゐる.

これからどうなっていくかは,当人にもわからないだらう.しかし「何をしては いけないか」はわかってゐるということだ.このままでは,当人の仕事人として のダメになってしまう.かういふ気持ちは,なにも突然降って湧くものではない. じはじはと当人の心に蓄積される.満杯になった時には手遅れだ.徐々に決心は 固まっていくのである.もう,このままではいけないと決心してしまった人を止 める手立てはない.第二の人達に十分な観察の機会があるとしたら,気がつかな い方がどうかしてゐる.